『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』など数多くの人気作品を生み出した鳥山明先生。
老若男女たくさんのファンがおり、いくつもの魅力的な漫画やキャラクターを作り続けてきました。
ずっと漫画家として活躍し続けている印象の鳥山明先生ですが、実はまだ68歳だったということで非常に驚きです。
じゃぁ鳥山明先生って一体何歳の時に人気漫画『ドラゴンボール』を描いたのでしょうか。
とても若い時に描いたということでしょうか。
この記事では
- 鳥山明がドラゴンボールを描いたのは何歳か
- 鳥山明これまでの経歴について
について紹介しています。
では本題です。
鳥山明がドラゴンボールを描いたのは何歳?
鳥山明先生が『ドラゴンボール』を描いたのは29歳の時です。
1978年に『ワンダーアイランド』でデビュー時にはなんと23歳という若さでした。
さらに25歳の時には『Dr.スランプ』を生み出しアニメ化されるなど、大人気漫画となりました。
鳥山明先生は現在68歳ですが、あまりにも長い間活躍しているためもっと高齢だと思っている方も少なくないです。
『ドラゴンボール』も29歳という若さで書き始め、未だ新シリーズが作られる根強いファンを持つ作品となりました。
約40年もの間、次々と人気作品を作り続けているんですね。
デビューから今に至るまでずっと第一線で活躍し続けることは簡単ではありません。
元々の才能はもちろんあるのでしょうが、これほど長い期間新しい作品を生み出す創造力は人並外れているのだと思います。
鳥山明これまでの経歴まとめ
鳥山明先生のこれまでの経歴を以下にまとめました。
幼少期から就職まで
鳥山明先生は愛知県名古屋市出身です。
幼少期から絵を描くことが大好きで、愛知県立起工業高等学校のデザイン科へ進学しました。
高校時代は漫画同好会に所属していましたが、特にその当時は漫画を描くことが好きというわけでもなかったようです。
高校卒業後は、絵を描く仕事がしたいと名古屋市にある広告などのデザイン会社である「第一紙行名古屋支店」に就職しました。
しかし仕事内容に嫌気がさし、約2年半で退職します。
仕事を辞めた後はイラストのアルバイトをしながら1年ほど生活していました。
アルバイトの稼ぎだけではお金に余裕はなく、自由に遊ぶお金もあまりありませんでした。
漫画家デビュー
お金がない日々を送っていた時、『週刊少年マガジン』で見かけた、新人賞の作品募集を見かけたことをきっかけに漫画を書き始めました。
新人賞の賞金はなんと50万円でしたので、当時としてはかなり高額な金額だったのではないでしょうか。
結局締め切りには間に合わず、1978年の『週刊少年ジャンプ』の新人賞へ応募しました。
応募した作品は『アワワワールド』というギャグ漫画でした。
結局『アワワワールド』は入賞を逃してしまいます。
しかしその後編集者の目に止まり、デビューへとこぎつけました。
現在
68歳の現在も2024年秋の公開に向けて、アニメ『ドラゴンボールDAIMA』の制作が予定されるなど活躍を続けていました。
鳥山明先生がお亡くなりになったことで、『ドラゴンボールDAIMA』は先生が関わった最後の作品となります。
まだアニメについての詳細は発表されていません。
本当に鳥山明先生が亡くなったことは悲しいですが、『ドラゴンボールDAIMA』の放送を楽しみたいですね。
まとめ
今回は『鳥山明がドラゴンボールを描いたのは何歳?これまでの経歴まとめ』と題して、
鳥山明先生が『ドラゴンボール』を描いたのは何歳なのか、これまでの経歴について紹介しました。
鳥山明先生が『ドラゴンボール』を描いたのは29歳の時です。
鳥山明先生は幼少期から絵を描くことが好きで、愛知県立起工業高等学校のデザイン科へ進学ました。
高校卒業後は「第一紙行名古屋支店」に就職するものの2年半で退職しました。
その後漫画を書き始め、23歳で漫画家としてデビューしました。
鳥山明先生が漫画界に残した功績は本当に偉大ですね。
鳥山明先生のご冥福をお祈りいたします。