今回は『富田安紀子のプロフィールや生い立ちは?義眼の理由についても調査』と題して、富田安紀子さんについて調査しました。
病気による左目を失明を乗り越え、今年9月にパリコレの企画に出演を決めた富田安紀子さん。
明るい印象の富田安紀子さんですが、意外な生い立ちがあるようです。
この記事では
- 富田安紀子のプロフィール
- 富田安紀子の生い立ち
- 富田安紀子が義眼の理由
を詳しく紹介しています。
富田安紀子のプロフィール
最初に富田安紀子さんの簡単なプロフィールを紹介しますね。
【出演情報】全国放送
— 富田安紀子|Tomida Akiko (@akiko_tomida) April 1, 2023
私がパーソナリティを務めている
レギュラー番組です💕
「星は、なにいろ?」デビュー配信についても
お話しています✨🌟✨
~ リンクスクエア [NHKラジオ第2]~
💎全国放送💎
4月2日(日)
朝☀️7時30分~8時00分
夜🌃7時30分~8時00分(再) pic.twitter.com/u3NvbvBmsq
- 名前:富田安紀子(とみだ あきこ)
- 生年月日:1991年11月21日
- 出身地:岐阜県大垣市
富田安紀子の生い立ちは?
富田安紀子さんは、岐阜で生まれ育ち幼少期はとても活発な性格でした。
小学2年で目に異常を感じ、検査のため病院を転々としたものの、はっきりした原因はわかりませんでした。
小学4年生のときにほとんど目は見えなくなり、1度目の手術を受けます。
地獄のようないじめ
5年生になり一時的に盲学校に編入しますが、1年後に通常学級に戻りました。
しかし、クラス替えがあり仲の良い友達が周りにいなくなったことで、富田安紀子さんへのいじめが始まります。
- クラス中から無視
- 足を引っかけられる
- プールで溺れさせられる
- 石を投げられる
- メガネを壊される
など話を聞くだけでも胸が痛くなるいじめの内容です。
しかしいじめられていることを両親に明かすことはありませんでした。
1人で悩み続けた富田さんは、母親の目を盗み包丁をお腹に刺し自殺未遂を起こします。
大事には至らなかったものの、母親には
目が見えなくて間違えた
とごまかしつづけました。
幼い富田さんがどれほど苦しんでいたのか想像するのも辛いエピソードです。
26歳で左目を失明
高校卒業後は介護福祉士の資格を取り、介護施設に勤務するなどいろいろなことに挑戦していた富田安紀子さん。
しかし26歳のときの定期検査で左目が失明し、右目も進行性弱視であることを医師から告げられます。
この出来事をきっかけに富田さんは義眼を装着し始め、少しずつ見た目に関するコンプレックスを克服していきます。
自分に自信がついた富田さんは、この頃から母の後押しを受け芸能の仕事もスタートしました。
いつか右目も見えなくなる日が来ることも考えながら、見えている今を大事に
- 和太鼓師範
- ミスコン出場
- 東京パラリンピック開会式参加
- パーカッションパフォーマー
- シンガー
- モデル
- テレビ出演
- 講演会講師 など
幅広い分野で様々な活動を続けています。
富田安紀子さんのような方がいることを知り、勇気や希望をもらえる人もいるのではないでしょうか。
富田安紀子が義眼の理由は?
富田安紀子さんが義眼の理由は病気で左目を失明したためです。
初めて視力に異常を感じたのは小学2年生の時でした。
急に教科書や黒板の文字が見えづらくなり目の異常を感じたそうです。
検査のため病院を転々とし、目の病気は『ぶどう膜炎』と判明。
治療方法が分からず、大きな病院で全身検査をしたものの原因については分かりませんでした。
病名を頼りにより専門的な病院へ移り、小学4年生の時目に人工眼内レンズを入れる手術を行います。
その後も数回手術を繰り返しますが、左目が見えるようになることはなかったといいます。
現在も失明の原因についての詳細は判明していません。
まとめ
今回は『富田安紀子が義眼の理由は?生い立ちやプロフィールも!』と題して、富田安紀子さんについて調査しました。
富田安紀子さんは1991年11月21日生まれで、岐阜県大垣市出身です。
小学校2年生の頃から視力が低下し、26歳で左目を失明しました。
いじめにあうなど辛い日々を乗り越え、現在はシンガー、モデル、ミスコンなど様々なジャンルで活躍しています。
富田安紀子さんが義眼の理由は、病気により左目を失明したためです。
明るく笑う富田安紀子さんの姿には勇気や元気をもらえますね!
今後もさらなる活躍をしてもらいたいです。
以上、富田安紀子さんの紹介でした。