大島理森の家系図がすごい!叔父は衆議院議員で父親は青森県会の議長だった!

大島理森の家系図がすごい!叔父は衆議院議員で父親は青森県会の議長だった!
スポンサーリンク

衆議院議員として活躍し、現在は横綱審議委員会の委員長を務める大島理森(おおしま ただもり)さん。

実は父親や叔父など、政治家の多い家系の中で育ちました。

そこで今回は、大島理森さんの家系図を紹介しながら、政治家として活躍した父や叔父についても調査していきます。

目次
スポンサーリンク

大島理森の家系図

大島理森さんは、1975年に青森県議会議員に当選、1983年に衆議院議員に初当選しました。

内閣で環境庁長官、文部大臣、農林水産大臣などを歴任し、2015年から2021年まで衆議院議長を務めました。

大島理森の家系図を見ると、大島理森さんが政治家を志すことになった周囲の人々との関わりが見えてきます。

大島理森の父は大島勇太郎

父 大島勇太郎の葬儀の写真

父の大島勇太郎は、青森県会議員や青森県議会議長を務めた政治家です。

大島理森さんによると、勇太郎さんは議員だった頃、議会のある日には青森市へ車で3時間以上かけて出掛けていました。

そのため家にいることの少ない父親だったといいます。

事務所を兼ねた自宅にはたくさんの人が出入りしていたことから、大島理森さんは常に政治を身近に感じていたのではないでしょうか。

幼い頃から政治家として働く父の姿を見て、自然と大島理森さんも政治家の道へ進むこととなったのかもしれませんね。

大島理森の叔父は夏堀源三郎

大島理森さんの母方の叔父は、衆議院議員だった夏堀源三郎さんです。

1929年に八戸で湊川魚市場組合長に就任。

1932年に株式会社化すると夏堀源三郎さんは社長に就任しました。

さらにその後

  • 東北振興水産
  • 大洋冷凍母船
  • 日南興産
  • 東北冷蔵

といった会社の社長となり、

  • 八戸商工会議所会頭
  • 青森県水産業会長
  • 東北漁業出漁組合連合会長

なども務めました。

漁業を含む地域産業の振興に力を入れ、地元の経済を支えるための政策を推進しました。

このことから夏堀源三郎さんは生前、地域の経済発展や漁業・商業の発展にも寄与してきたことが分かります。

1946年の第22回衆議院議員総選挙では、青森県から日本自由党公認で立候補して初当選し、以後6期にわたり活躍しました。

民主自由党、自由党、日本民主党の各党総務を務め、大蔵常任委員長としてGHQ経済顧問のジョセフ・ドッジ公使と重税問題で交渉し、中南米諸国を3回にわたって視察するなど漁場の開発に尽力しました。

社会や政治への興味を生んだ幼少期

父や叔父に政治家を持つ大島理森さんは、幼少期から周囲の人々からも「政治家の息子」という視線を向けられていました。

様々な人々が自宅に訪れ、話をしているのを見て育ち、

世の中にはいろいろな人がいて、それで社会というものが動いている

と子どもながらに感じていたといいます。

時には恵まれた環境に対して悪意を向けられることもありました。

しかし大島理森さんは

意識しようがしまいが、自分が生きていくためにはその社会のなかでうまくやっていかなければならない

と思い自然と振る舞いなどがを覚えていきました。

また、小さい頃から色々な人を見てきたおかげで、社交性や柔軟性が見についたのだそうです。

他を生かす責任を負い、己だけですべてができているのではないという考えのもと、地域のために全力を尽くし活躍してきたんですね。

大島理森のプロフィール

名前大島理森(おおしま ただもり)
生年月日1946年9月6日
出身地青森県上長苗代村(現八戸市)
学歴慶應義塾大学法学部法律学科

まとめ

今回は衆議院議員として活躍し、現在は横綱審議委員会の委員長を務める大島理森さんの家系図を紹介しました。

父の大島勇太郎や、叔父の夏堀源三郎など政治家に囲まれた環境で育った大島理森さん。

自然と政治の世界に興味を持ち、自身も政治家の道へ進むこととなりました。

地域のために尽力する姿勢は、父や叔父の背中を見てきたからこそと思われます。

以上、大島理森さんについてでした。

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
スポンサーリンク
目次