ダイナミックで熱量の高いパフォーマンスで人気の落語家・桂雀々さん。
明るいイメージの強い桂雀々さんですが、実は幼い頃に両親が蒸発し壮絶な日々を過ごしたと言います。
この記事では、桂雀々さんの母親について、詳しく調査しました。
桂雀々の母・菊元政子のプロフィール
桂雀々の母はリラクゼーションマッサージを行う「げんき堂」の代表取締役を務めています。
名前 | 菊元政子(きくもと まさこ) |
職業 | げんき堂代表取締役 |
母親は幼い桂雀々を残して蒸発
桂雀々さんの母親は、雀々さんが小6のとき蒸発して行方不明になっています。
それはあまりにも突然の出来事でした。
小学校の三者面談の日
「先に帰っている」
と言っていた母は、そのままいなくなったといいます。
母が家出した原因として挙げられるのが、
でした。
家庭の中はめちゃくちゃだったものの、母親は一生懸命働くなどして家庭を支えていたようです。
それでも家計は回らず雀々さんの母は、さまざまところから借金をして生活をしのいでいました。
しかし精神的に限界を迎えてしまったんでしょうね。
さらにその1年後には莫大な借金を残して父親もいなくなり、兄弟もいない雀々さんはひとりぼっちになってしまいます。
幼くして1人で生活している雀々さんのもとにも、借金の取り立てはやってきます。
当時のことを雀々さんは次のように話しています。
借金取りに胸ぐら掴まれて、“君のお父さん、お母さんはどこにいるんや?”と聞くので“1人で生活してます”と言うと“そんなわけないやろ”と。“そんなわけないんです”ってダ~ッとしゃべったんです。そしたら、借金取りがもらい泣きして。それで私が、“すみませんけど、5千円貸してくれませんか?”ってお願いしたら、取り立てのお兄さん、5千円渡してくれて“なんで取り立てに来て5千円取られなあかんねん”と
文化放送
お金を取り立てに来たお兄さんが思わずお金を渡してしまうとは、雀々さんがどれほど可哀想な様子だったのかが伺えます。
その後も大きくなるまで、近所の住民の世話になったりアルバイトをしながら1人で生活を続けていました。
周囲に見守ってくれる人がいたことが、本当に良かったですよね。
29年後に母と突然の再開
蒸発以降、母の行方はわからず桂雀々さんが落語家になるまで再開することはありませんでした。
ところが母は29年ぶりに突然雀々さんの前に姿を現します。
雀々さんが落語家になったことをテレビで知った母は、寄席に通うようになります。
初めは後ろの席でこっそりと見ていた母でしたが、だんだんと舞台からよく見える中央の席に座り始め、最後には最前列でガハガハと笑っていたのだそうです。
雀々さんもその様子に
と直感的に感じるものがあったようです。
再開後にそれまでの思いを母にぶつけた雀々さん。
お腹痛めて産んだ子をよく捨てましたね
と言った雀々さんに対し、母は言い訳をまくし立て、
捨てたんと違う、置いてきたんや
と話しました。
実際に家を出た後、母は手に職をつけるため、学校に通うなどしていたのだそうです。
離れている間の29年間、1日たりとも雀々さんを忘れたことはありませんでした。
大切な我が子を手放すなんて、当時は本当に辛かったのではないでしょうか。
現在は、母が経営するげんき堂の経営にも携わったり、一緒に食事をするなど良好な関係のようですよ。
まとめ
今回は落語家・桂雀々さんの母親について詳しく調査しました。
桂雀々さんの母親に関する情報はあまり多くありませんでした。
ですが、雀々さんが苦労の多い子供時代を過ごされたことは事実のようです。
その経験が、今の雀々さんの芸に深みを与えているのかもしれませんね。
以上、桂雀々さんについてでした。